こんにちは、村上です。ボクはどうも話するのが苦手で、こういう講演みたいな事も何回かやっているんですが、いつも舌が回らず聞く方に迷惑をかけています。でも今日は顔見知りの人も何人かいるようですし、緊張せずにしゃべることが出来ると思うのですが、それでもボクの言葉は聞き取りにくいと思うのでプリントを作ってきました。不思議なもので、これを見ながら聞いて下されば普通では聞き取れない言葉も聞き取れた気分になるし、こうしておけば後から何回でも読み直すことが出来る。ボクの言おうとしていることが確実に伝わるんです。こっちを見たり、そっちを見たり面倒だとは思いますがご勘弁下さい。
それから、今日の予定ですが、これから20分ほど喋らせて貰って(原稿の方はもっともっと長いので、飛ばし飛ばし喋ろうと思います。残りは後日読み直して下さい)、その後ビデオとか絵とかを見て貰って、質疑応答に移ろうかと思います。当然、質疑応答の時はプリントはないわけですが、だいぶ喋った後なので聞き慣れても来ているだろうし、多分大丈夫でしょう。
では、え〜と、今日は「自立」がテーマだということですが、その前にボクの普段の生活を暴露しましょう。今までのイメージが崩れる人もいるかもしれませんが、これが本当のボクですので、よ〜く聞いといて下さい。創作活動をするとき、思い込みとか常識などというものはじゃまになります。今日はこれらを全て取っ払って聞いて下さい。
まずは絵について。「毎日描かれるんですか」という質問をよくされますが、そんなに絵ばかり描いてられません。よく描いて3日から10日に1回、半年描かなかったときもあるぐらいです。3日に1回というのは絵の具を乾かす時間がいるからです。ボクがよく使う赤の絵の具なんかは10日たっても乾かない。でも完全に乾いてから塗るより生乾きの上からの方が、下の色と混ざり合ったりして面白い色になるんです。あまり混ぜすぎると色が濁ってしまうので、十分乾かして描くときもあります。だから3日に1回とか10日に1回なんです。それに時間とかも決めていません。描きたくなったら描く。気分が乗らない時は描かない。これです。
俳句なんかもっとひどい。「麦」という全国俳誌に投稿してるのですが、毎月の締め切り日が近づかないと作らないし、それでも出来ないときは「もういいや」って出さない始末。他の同人の方に知られたら怒られそうな不真面目さです。童話もエッセイもこのところ書いてないし、ホームページの更新ももう4ヶ月ぐらい出来てません。
では一体何をしてるんだと問われると、自分でも「何をしてたんだろう」と悩んでしまうぐらいです。文化祭などの療護園の行事の計画(来月1日にも後見人参加のカラオケ大会がある)や、その他のいろんな雑用にバタバタしているときもありますが、これで時間の全てを費やすなどということはありません。それどころか冷静に考えてみると、これらの時間はたかが知れてるんです。それでもその時は凄い仕事をした気分になっいて、身体も疲れている気がして、「ちょっと一休み」というふうになってしまう。そしてこの「一休み」が結構長いんですね。昼寝をしたり、テレビを見たり、マンガを読んだり、インターネットでネットサーフィンしてみたり・・・。なんかすごくムダな時間の使い方をしてるなって感じです。もう少し気合いを入れればもっといろんな事が出来るのにとも思うのですが、締め切りのないものはどうしても後へ後へと回していってしまう。まぁ、ボクも普通の人間ってことです。
でも、でもです。「ムダが文化を作る」という言葉があるぐらいですから、案外これでいいのかも知れません。なんだか言い訳をしているような気分にもなるのですが、事実、ムダによって溜まったエネルギーが爆発した時にいい作品が出来る場合が多いんだから・・・。創作活動をする者にとってこれほど贅沢な環境はないのかも知れません。
そして、このムダな時間がたくさん持てるというのは、ひとえに療護園にいるおかげなんです。よく「施設には自由がない」なんて言われますが、とんでもない。食事は作らなくていいし、洗濯もしなくていい。身の回りのことは殆ど寮母さんがしてくれる。別に仕事があるわけじゃない。その人の障害にもよりますが、自由に使える時間はたっぷりあるんです。要はそれをどう使うかなんです。ボクの場合、食事とお風呂の時間以外は全て自由時間で、基本的に何をしても構わない。規則だの、人間関係だの、面倒なこともたくさんありますが、要領よく振る舞えば何でも出来ちゃいます。例えば、飲みに行きたいなと思えば友達を呼び出して行けばいいし、朝、眠たいなと思えば、眠い目をこすりながらでもとりあえず朝食だけ食べに行って、それからまた寝ればいい。別に規則を破っているわけではないし、普段それなりのことをやっているから誰も文句は言いません。「また寝よん、目が腐るじょ」って言われるぐらいです。夜だって、遅くまでパソコンをしていても、職員とおしゃべりしていても怒られるようなことはありません。とにかく普段は結構だらしのないボクですが、施設側が変に干渉してこずに自由にやらせてくれることが一番ありがたい。そのうえ、いつでも描けるアトリエはあるし、パソコンは使い放題だし、ほぼ専用状態の書斎まで用意してくれている。全国の施設生活者の中でボクぐらい環境が整い、やりたいことをやりたいようにやれて、しかもタダでイギリスまで行かせてくれた、なんていう幸せな障害者は他にいないんじゃないかと思うぐらいです。
余談になりますが、ボクはある占い師から「何百万人に一人の幸運の持ち主」と言われたことがあります。といっても宝くじに当たるでもなし、第一、こんな体に生まれて何が幸運と思いたくなります。ですが冷静に振り返ってみると、ラッキーがラッキーを呼ぶというか、ラッキーが数珠繋ぎに繋がってるんです。そしてそれをずっと手繰っていくと、「ボクが、街の中で食堂をしていた村上家に障害を持って生まれてきたこと」に行き当たる。そしてそこに、先の読める母がいたこと、知的障害がある叔父がいたこと、ものわかりのいい祖父、やかましい祖母、遊んでばかりの父、身体の小さな兄がいたこと、もう一人の叔父が蒸発して従兄が一緒に暮らすことになったこと。とにかく、兄が「我が家は福祉社会の縮図だ」と言ったぐらい凄まじい一家で、どんなドラマもかなわないぐらいの出来事が次々起こり、不幸のどん底のように見えてもおかしくない状態だったのですが、不思議なことにこれらのこと全てがボクにとって良いように影響してくれるんです。家族のことをお話しすると面白すぎて一日あっても話しきれないと思うので今日はやめますが、どうしても知りたい人はうちに遊びに来て下さい。母が「いや」っていうほど話してくれると思いますから。
とにかく、ボクは凄くラッキーな人間なんですが、そのことはもうおいといて、本来のメインテーマである「自立」の話に移りましょう。
「自立」ってよく使う言葉ですよね。でも、「自立」って何なんだろう、どういうことなんだろうって考えると途端に難しくなるんですよね。ボクも子供の頃からよく考えてました。とにかく我が家の状況が状況だっただけに考えざるをえなかった。家にいる時はたいてい一人(先ほど話した知的障害のあるおじさんとはよく遊びました。おじさんがいなければ、ほんと一人ぼっちでした)、お店が暇にならないとご飯も食べさせてもらえなかったのですから。「大きくなったらああしたい、こうしたい、自分で何でも出来るようになりたい。なんとか働いて食べていけるように」と考えたのも自然の成り行きだったのかも知れません。そのうえ母に「何でも自分で考えて行動するように」躾られていたものだから、人一倍自立心の強い子供だったと思います(小学生になってひのみね学園に入園した時、看護婦さんや保母さんから「ああしなさい」とか「こうしなさい」とか「〜してはいけません」とか言われて、かなり戸惑いました。「ほんなことボクやってちゃんと考えとう」って反発もしてましたから、生意気な子供と思われていたこともありました)。
でも年齢が高くなるにつれて、働くのが難しいって事が分かってきて、「どうでもいいや、まぁどうにかなるだろう」っていう気持ちと、「とにかくやれるだけのことはやろう。何か出来る事があるはず」という気持ちが入り交じってボクを悩ませていました。その頃書いた作文が『七転八起』。去年までの徳島県高等学校同和教育資料『じんけん』に掲載されている『働きたい』の原文です。その頃は「自立」=「働くこと」だったんです。人並みに高校に行って、大学に行って、下宿なんかもして、何か仕事を持って一人ででも生きて行けることを証明したかった。我が家の状況から見て、かずら橋のような危ない橋であることは分かっていましたが、実際に仕事をして生きていっている自分より重度の障害を持っている人のことを本で読んだりテレビで見たりして知ってましたから、「ボクに出来ないはずはない」という自信みたいなものもありました。でも、もう一方で、不安に耐えきれず「そんな事して何になる」って言っている自分がいるんです。しかもその自分は、いつも絶対に落ちない鉄の橋を用意している。二人の自分が「どっちの橋を渡ろうか」といつも格闘してました。が、結局いつも誰にも心配かけない安全な鉄の橋の方を選んでいました。「あの時もし・・・」という思いはありますが、それはどんな人にでもあることだろうし、後悔はしてません。多分あの時点でそれがベストの判断だったと思うし、今のボクがあるのも、本当の自立の意味を発見できたのも、この道を選んだおかげなんですから。
今、「本当の自立の意味」といいましたが、それが本当に「本当の自立」かどうかは分かりません。だけど今のボクが「自立」という言葉を定義するならこうします。
「自立とは、自己選択、自己決定できる環境の中で、自己抑制が出来、自分に責任が持てること。そして社会との関わりの中で、その人がその人らしく生きること」
これが「自立する」ということじゃないかって思うんです。働いたり一人暮らししたりすることは自己選択や自己決定できる環境を作るための方法であって、これイコール「自立」ではない。「施設を出て自立して、思いっきり好きなことがしたい」という人もいますが、心情的には分からん事もないんだけど「ちょっと違うんでないかい」って感じです。それから、一般によく言われる「何でも自分で出来ること」っていうのも違う気がします。だって、この世の中に自分一人で何もかも出来る人なんていないんですから。出来ないことは他人にやってもらえばいいんです。そして他人に出来ないことをしてあげればいいんです。人にはその人にしか出来ないことが必ずあります。少なくともボクはそう思う。体に障害かあろうとなかろうと、人に個性があるように、その個性を生かした天職とも言うべきものがあるはずなんです。ようはそれを見つけられるかどうか、そして社会とどう関わっていくかだと思うんです。
ボクの場合、それは芸術活動だと思うんです。ボクにしか描けない絵、ボクにしか作れない文章で見る人に喜びや感動やエネルギーを与えることが出来れば、それは立派に社会に貢献しているってことではないでしょうか。これはアーティストと呼ばれる全ての人に言えることです。もちろん、草の実学園にいるアーティスト達にも当てはまります。いやむしろ、より純粋な彼らの方が心の奥底に響くような真の感動と安らぎをより多く与えることが出来るんではないかと思うほどです。彼らは真のアーティストになりうる要素を十分持ち合わせているんです。
ただ、彼らはそれをどのように形にすればいいか分からずにいる。例えば、ボクなら「次はこういう絵を描きたいから」とキャンバスや絵の具を画材店に注文し、絵が溜まってきたと思えば個展が出来る場所を探したり案内状を出したりすることが出来る。でも、これを彼らに「自分でやれ」と言っても出来ないんだから、周りの者がサポートすべきなんです。彼らが何に興味があるのか見定め、場所や道具を提供したり、展覧会の企画や作品の運用などを行い、社会と関わっていくきっかけを作る、それは周りの者の役目なんです。彼らは周りのサポートさえあれば才能を開花させ、彼らの作品を見た人達に勇気と感動を与えられるかも知れない。これは立派な社会貢献であり、共生への道の第一歩なんですから。
ですが、いくら感動とか心に潤いとかを与えたところで、自分が食べていけなければどうしようもありません。食べていくため、新しい作品を創るためにはお金が必要です。そのお金をいかにして儲けるかというのが問題となってきます。
真っ先に思いつくのは作品を売ってお金に換えると言うこと。でも作品なんてそう簡単に売れるものではありません。そりゃー、安く売れば売れるでしょうが、それだけ作品を安っぽく見られ、「障害者が描いた絵だから安い」って見られる可能性もあります。これじゃーかえって逆効果。いつまでたっても「障害者の絵」という偏見をぶち破ることが出来なくなります。だから作品には少々高めの値段を付けることをおすすめします。この方がアーティストとして認めてもらえやすいんです。そして、「たとえ高くても、どうしても譲って欲しい」という人だけに「そこまで気に入ってくれるのなら、嬉しいから安くしておきます」と言って譲るんです。こうすれば買ってくれた人も得した気分になれるし、作品も大事にしてくれる。まさに一石三鳥なんです。
とはいっても、高い作品を買ってくれる人などそうはいません。美術作品を商品とする場合、やはり「値段が高い」というのが一番のネックになってくるんです。ではどうすればいいか。そこで登場するのが「著作権」です。「著作権」についての詳しいことは、別紙の「著作権のはなし」を見てくれれば分かると思いますが、「著作権」について知れば知るほど、いろんなアイデアが浮かんで来るんです。「著作権」は、まさにボクらの味方なんです。
具体的に言うと、一つの提案として「オリジナルグッズ」を作るという方法があります。今日も幾つか持ってきているのですが、こうしてポストカードにしたりTシャツにプリントしたり・・・。ポストカードは美術館などでは1枚100円で売っているので同じぐらいでも十分売れるでしょう。12枚をセットにして1000円という方法もあります。カレンダーにするという方法もあります。マグカップ等のちょっとした小物にプリントするのも面白い。要は商品として買いやすい形にすればいいんです。ボクはこの「プロショップ」を来年あたりインターネット上で開店させようと思っています。インターネットなら店舗の設営費用も要らないし、土地代も要らない。僕らのように資金のないものには最適なんです。成功するかどうかは分からないし、これで生活できるほどのお金が入るとは思ってません。でも、たとえ小遣い程度でもやってみる価値はあると思います。草の実さんもいかがでしょうか。
まぁ、なんやかんや言ってきましたが、いずれにしろボクら障害者は、周りのもののサポートがなければ何にも出来ないんです。特にここにいる彼らの多くは、みなさんの導きがなければ、どこに行っていいのか何をしていいのか分からない。彼らがちゃんと自立した人間になるのも大アーティストになるのも、全部みなさんの手に掛かってるんです。それでみなさんは給料を貰ってるんです。いわばプロなんです。ボクはこんな事をお願いできる立場ではないのですが、彼らのために、そして全ての人が共生できる世の中を作るために、ひと肌もふた肌も脱いでやって下さい。お願いします。
最後に、彼らが自立した後もその生活を続けていくために最も重要だと思うことを言わせてもらって終わりにしたいと思います。
自立した生活を続けていくために最も重要なこと、それは健康です。健康を維持することです。よく「料理が出来なくったって、レンジでチンすればいいだけの便利なものもあるし、それもイヤなら出来合いの物を買ってくればいい」なんていう人がいますが、そんなことをしていたら5年先10年先に必ず大きな病気にかかります。そしたら自立どころか命まで危なくなる。自立した生活をしようと思えば、まず自分の健康、自分の食生活をきちんと管理できるようにすること、これが基本中の基本なのです。今、「食育」だとか「選食」だとかいう新しい言葉が脚光を浴び始めていますが、彼らの自立を本当に願ってるのなら、まず皆さんが食べ物のことをしっかり勉強して彼らに伝えていくこと、これが最も大事なことなんじゃないかと思います。
今の社会は、政治も経済もぐちゃぐちゃです。ニュースなんかを見ていると、ほんとどうなってしまうだろうと思ってしまいます。けれど、心配したところでどうこうなるものではない。とにかく何か行動しないと・・・。行動と言っても別に難しいことじゃーありません。まず自分が自立することです。そして、自立した人間をより多く育てることです。もし世の中の全ての人間が真に自立したなら、すばらしい世の中になると思うのですがどうでしょうか。まずは自分からです。少しでもいい世の中に向かうようお互い頑張りましょう。
長い間、ありがとうござました。
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